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[最近思う事] 2003年

 

                                                     《5月下旬へ》

    5月15日 通勤電車
 

 朝の通勤地獄はまだまだ大変なものですが、JRの首都圏でも同じ状態です。少しでも緩和するようにと車両を改良しています。その二つの通勤車両について・・・。今までの車両は断面で見ると四角でしたが、両側面を外側に丸みを付ける事によって内部の空間が広くなります。と、言う事はそれだけ沢山の乗客を乗せる事が出来ます。 都心の車両は大部分がこの形式になりましたようです。
 もう一つは1車両に通常出入り口が4ヶ所付いていますが、これは6ヶ所有ります。一見ドアだらけの車両に見えますが、驚くにはまだ早いのです。椅子が無いのです。ただ、ラッシュアワーが過ぎた9時半とか10時になると開いて座れるようになります。しかし3人掛けの小さな座席しか有りません。幸い、ただ人を沢山運ぶだけの目的のこの車両は中央の1両だけです。さすがにJRも非人間的な車両の増産には踏み切れないようです。
 私は短距離しか乗りませんので、めったに腰掛ける事はありませんが、それでもこの車両が来ると前後の車両に乗り込んでしまいます。また、たまにしか乗りませんのでこんな 些細な事でも気になってしまいます。

 そうそう、国鉄がJRになった時、それまでの通勤電車を”国電”と呼んでいました。新しい名称を募集して公表しましたが、その時の愛称はたしか”E電”(いーでん)だったと記憶しています。今は全く使われていません(?)と思っていますが、あの愛称はどこに行ってしまったのでしょうか?

   
    5月14日 交通安全週間
 

                                              春の交通安全週間が実施されています。
 どうも、交差点に警察官が多いと思っていたら安全運動中だったのですね。例年は4月の新学期が始まるのに合わせて実施されていましたが、今年は月も変わって今頃ですから、何かピンと来ません。

今回の重点目標

1.子供と高齢者の歩行中、自転車乗用中の交通事故防止

2.二輪車の交通事故防止

3.シートベルトとチャイルドシートの着用の徹底

 どちらにしても”交通安全”でいきましょう。

(左は警視庁のポスター)

   
    5月13日 旧新橋操車場
 

 日本で初めて鉄道が開通したのが明治5年9月、ここ新橋と横浜間です。当時錦絵などで紹介された始発駅です。時代が進んで、東京駅が東海道線の始発駅になり、新橋駅は汐留駅と名を替えて貨物駅として栄えましたが、道路網が発達して鉄道貨物が衰退していきました。そして広大な敷地が残り、そこに超高層ビルの並んだ新しい町(汐留再開発地域)が出現したのです。カメラで追ってもあまりにも高いビル群のため全景が収まり切れません。話を戻して、その記念すべき停車場(ステイション)の有った同じ場所に、当時と同じ建物を復元して往時を偲んでいます。建物は石造りの洋館ですが、明治の文明開化の雰囲気をかもしています。その中には資料館(無料)も有り、また発掘された当時の石組みも 見られ楽しめます。

     
旧新橋停車場正面  旧新橋停車場ホーム側
     
旧新橋停車場”ゼロマイル”基点標柱  回りに林立する超高層ビル群

写真をクリックすると大きな写真が見られます。

   
    5月12日 鏡味仙次(かがみ せんじ)さん
   大道芸人の江戸太神楽(曲芸)師で、東京都から認定された”ヘブンアーチスト”です。ヘブンアーチストとは聞き慣れない肩書きですが、東京都が大道で芸を披露しておひねり等収入を得てもイイですよ、というプロの資格です。これには誰でもなれる訳ではなく、都のテストを受けて有るレベル以上の芸人さんが資格を得るのです。彼は上野公園で芸を披露していました。寄席などと違って拙ければお客は集まらないし、巧ければお客さんから多くの拍手を受けます。ヨイショなしの真剣勝負です。若い彼はこれから益々伸びる事でしょう。
写真はお手玉を披露している所ですが、写真をクリックすると傘の芸をしているところになります。
   
    5月11日 母の日
 

 母の日の起源には諸説ありますが、古くはギリシャで神々の母リーアに感謝するための春祭りが行われていました。また、17世紀のイギリスでは、復活祭(イースター)40日前の日曜日を「Mothering Sunday」と決め、家からはなれて仕事をしている人が家に帰って母親と過ごすことが許されていました。このとき贈り物として、「Mothering cake」というお菓子を用意したそうです。
この風習が、今日の母の日の原形になっているようです。

 現在のような5月の第2日曜日に決まったのは、1900年代のアメリカの出来事がもとになっています。1905年5月9日、アンナ・ジャービスという人の母親が亡くなりました。やがて彼女は、「亡き母親を追悼して、母の日という祭日をもうけよう」という運動を全米でおこしました。そして1908年5月10日、フィラデルフィアの教会で白いカーネーションを配り、これがアメリカで初めて行われた母の日になりました。
 この風習がアメリカのほとんどの州に広まると、1914年に「5月の第2日曜日を母の日とする」という母の日議案が制定されました。
 このように母の日とはもともと、亡き母を追悼する日だったのです。

右の写真は緑色のカーネーションです。

 日本では、明治45年(1912)にキリスト教の行事として、最初の「母の日」が行われました。やがてアメリカにならい、昭和22年(1947)公式に「5月の第2日曜日を母の日とする」と決められました。さらに、現在のように生きているお母さんに感謝の気持ちをささげる行事になったのは、 昭和30年(1955)からのようです。

 当時の日本では、母性愛をあらわすカーネーションを、お母さんが生きている人は赤い花、亡くなった人は白い花を胸に飾り、母の偉大さを考えるとしていました。やがて、カーネーションを母に贈る日になり、現在ではどんなものでもいいから母にプレゼントをあげる日になっています。
http://little.pobox.ne.jp/mather.htm より

別説;「ミシガン州のアルビオンがアメリカでの母の日の発祥地」と言う説。

 1877年5月の第二日曜日は、ジュリエット・ブレイクリーという女性の59歳の誕生日だった。礼拝の途中いなくなってしまった牧師の代わりに、彼女は多くの人が集う礼拝を続け、無事終わらせた。
 その姿に感動した巡回セールスマンの二人の息子が、毎年、母の誕生日にはアルビオンに戻ることにし、教会も第二日曜日に母をたたえる礼拝をするようになったという。

   
    5月10日  切手の種類の縮小整理
 

 通常切手の種類は50数種類から27種類に減少しています。それから半年経ちましたが、私は知りませんでした。昨日郵便局で18円切手を求めたら販売していなかったのです。この切手はそもそも62円だった封書の値段が80円に値上げされ、その差額の為の切手です。その切手が廃止されてしまったのです。理由は1.切手の種類が多すぎて煩雑だから。2.購入者が少なくなってきたから。の理由だそうです。
 考えてみてください。これは郵政省(今は郵政公社)側だけの理由で、お客側の利便については全く考慮されていません。親方日の丸の精神が見え見えです。 サービスとはお客様に利便を与える事で、内部の為だけに与えるものではありませんし、ましてや顧客にそのしわ寄せが行くのは筋違いです。
 62円の切手を死蔵している人は沢山います。18円の切手を貼ればその切手が使えます。切手には有効期限のない前払いの有価証券です。公社の弁解では62円切手に10円+5円+3円を貼れば使えると言いますが、現実、普通の封筒に4枚もの切手を貼って出す事はありません。それは例外を除けば異常な事です。早い話が62円切手は使うな、又は使わせない政策としか思えないのです。同じ郵便物を10枚以上出す時は”料金別納”でその切手が使えると弁明していますが、一般家庭では例外事です。新しい80円切手に取り替える事も出来ますが、それには1枚5円の手数料が掛かります。最終的に妥協して20円切手を貼るのが一番いい結果のようですが、1通出すたびに2円の料金が余分に取られます。
 どちらにしても利用者無視の自分たちだけ良ければいいと言う政策です。この件については15円切手(心身障害者向けの刊行物用料金)の廃止で泣いている人もいます。せめて全廃ではなく中央の局に行けば買えたり、通信販売で購入出来る販路だけは残しておいて欲しいものです。
 また、公社の”お客様相談窓口”が有りますが、権限のない人が対応していますので、何の解決にもなりません。「ただただ、頭を低くして嵐の通り過ぎるのを待っているだけ」の対応です。最後には「私も同感だが、決まった事だからどうする事も出来ない」と言うのみで、相談窓口の本来の意味が達成されていないのには悲しくなります。
 民営化されたのだから、もう少し客の側に立って、物事を考えて欲しい。元に戻すのも一つの英断。

   
    5月9日 アイスクリームの日
 

 明治2年、横浜馬車道通り(現在の横浜市中区常盤町5丁目)で、町田房蔵が“あいすくりん”として製造販売したのが、日本で最初のアイスクリームと言われています。このことは、太田久好著「横浜沿革史」に次のように書かれていることに由来しており、社団法人日本アイスクリーム協会が、昭和39年に5月9日を「アイスクリームの日」と決めました。
横浜沿革史の記述によると、
『明治2年、馬車道通常磐5丁目ニオイテ、町田房蔵ナルモノ氷水店ヲ開業ス。
当時ハ外国人稀ニ立寄、氷又ハアイスクリームヲ飲用ス。本邦人ハ之ヲ縦覧スルノミ。店主為ニ当初ノ目的ヲ失シ大イニ損耗ス。尚翌3年4月、伊勢山皇太宮祭ニ際シ、再ヒ開業セシニ頗ル繁盛ヲ極メ、因テ前年ノ失敗ヲ恢復セリト爾来陸続客アリテ、恰モ専売権ヲ得タル如ク繁盛ヲ極メタリ。之ヲ氷水店ノコウ矢トス。』

一人前の値段は金2分(当時の大工の日当とほぼ同じ)だったそうです(グリコのホームページより)

 この日を記念して各種のイベントが行われています。
社団法人日本アイスクリーム協会 http://www.icecream.or.jp/iceday/top.html
有名なアイスクリーム屋さんでは時間制限で無料サービスをします。その時間に当たると良いな。
ハーゲンダッツジャパン ホームページ http://www.haagen-dazs.co.jp.

現在日本の規準ではアイスクリームは4ランクに分けられています。
  アイスクリーム 乳固形分15%以上・うち乳脂肪分8%以上
  アイスミルク  乳固形分10%以上・うち乳脂肪分3%以上
  ラクトアイス  乳固形分3%以上
  氷菓      それ以下
一番市場性が高いのはラクトアイスで、値段もさることながらダイエットなどが影響しているのでしょう。

   
   5月8日 岸のすみれや、れんげの花に
 


   「春の小川」

          高野辰之作詞・林柳波改作/岡野貞一作曲


春の小川は、さらさら行くよ。
岸のすみれや、れんげの花に、
すがたやさしく、色うつくしく、
咲けよ咲けよと、ささやきながら。

春の小川は、さらさら行くよ。
えびやめだかや、こぶなのむれに、
今日も一日、ひなたでおよぎ、
遊べ遊べと、ささやきながら。
 

         左”れんげ”と右”すみれ”

れんげの花言葉は「あなたは幸福」。

   
   5月7日 立夏(りっか)
   昨日6日は立夏でした。
 二十四節気の一つ.太陽黄経45度(3月21日春分が0度)
 東洋の暦ではこの日から立秋の前日までを夏とする。ちなみに西洋の暦では夏至から秋分の前日までを夏としている。札幌も桜の開花が平年値で5月5日。最も遅いのは根室の5月20日、これで桜前線は終点となる。 沖縄では海開き? 紫外線が強くなってきています、お肌には注意。
   
   5月6日 勝矢祭(東京都江東区)
   天智天皇4年(665)、藤原鎌足が東国下向の際、この亀の島に船を寄せ、香取大神を勧請し太刀一振を納め、旅の安泰を祈り神徳を仰いだのが由来となっています(当時亀戸周辺は小さな島からなっていた)。天慶年間(938〜46)平将門の乱が起り、追討使として抜擢された藤原秀郷が戦勝を祈願して戦いに臨んだところ、めでたく鎮圧できたので弓矢を奉納し「勝矢」と命名したことが伝えられています。
 この故事を祈念して、5月5日、地元小学生の鼓笛隊などが先導するなか、平安時代の鎧兜の装束や陣羽織、裃などを身にまとった武者行列が、亀出神社(江東区大島3)で勝鬨を挙げて出発、亀戸駅前十三間通りなどを通って香取神社(江東区亀戸3)までの約2kmの道程を練り歩きます。香取神社に到着すると、本殿で勝矢の奉納の儀式が厳かに行われます。沿道などの人出は約10万人 (主催者調べ)。
   
   5月5日 こどもの日・端午の節句
 

 鎌倉時代から武士の間では尚武の気風が強く、菖蒲と尚武をかけて、尚武の節日として盛んに祝い、菖蒲や蓬(よもぎ)を、屋根や軒にふき、菖蒲枕をしたり、菖蒲酒を飲んだりしました。甲冑(かっちゅう)や刀、槍などの武具や旗幟(はたのぼり)等を飾りました。
 そして江戸時代になると、五月五日は大名や旗本が式服で江戸城に出仕し、将軍にお祝いをのべました。また、将軍に男の子が生まれると、表御殿の玄関前に馬印や幟を立てて祝いました。
 端午の節句が男の子の誕生の祝いに結びついたのは、このころからで、武士の間だけでなく、一般に人々にもこの行事がとりいれられていったのです。
 はじめのころは、玄関前に幟や吹流しを立てて祝いましたが、やがて、厚紙で作った兜や人形、紙や布にかいた武者絵なども飾るようになりました。江戸の中ごろには、武士の幟に対抗して、町人の間で鯉のぼりが盛大に飾られるようになりました。

 今は国民の祝日のひとつとして、法律で「こどもの日」に制定され祝われています。


   「コイノボリ」

        近藤宮子作詞・日本教育音楽協会作曲
 

屋根より高い鯉のぼり
大きいマゴイはお父さん
小さいヒゴイは子供たち
面白そうに泳いでる

     

   
   5月4日 詐欺メール
 

 私のところに、アダルトサイト料金未納なんてメールが来ました。
 事実無根のメールで、これは手当たり次第に送りつけて、その中の慌て者が間違って送金してしまうのを待っているのです。このようなメールが来たら警察に通報して、相手には何のアクションもとってはいけません。こちらの情報が漏れてしまいますから。最後に気分の悪い方はメールアドレスを変える事をお勧めします。 警察や消費者相談窓口には数百の苦情が来ているそうです。中には郵便物で届くのもあるそうです。くれぐれもご用心。


《未納料金について大至急ご連絡を致します》
合計お支払い金額:33750円
 サイト運営業者:ファーストクラブ
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   遅延損害金: 5450円
 徴収代行手数料: 6500円

この度は当時あなた様が使用されたプロバイダー及び
電話回線から接続されたアダルトサイト利用料金について
運営業者より未納利用料金に関する債権譲渡を受けました。

あなた様の個人情報に基づき
私共がアダルトサイト未納利用料金の徴収作業を
代行させて頂く事になりましたので御連絡させて頂きます。
現在は上記に記載のアダルトサイト利用料金が
未納となってますので遅延損害金及び徴収代行手数料も含めて
4月16日(水)午後3時までの振り込みを
御支払い期限として下記に記載の指定口座まで
御入金して頂くよう御願い申し上げます。

速やかに御入金して頂けない場合は
あなた様の登録情報および個人情報を含めて
私共から各地域の債権代行関連業者及び
最寄りの関連事務所へ債権譲渡を致しますので
最終的に債権徴収担当員を御自宅などに訪問をさせて頂きます。
その際には上記の合計支払額に交通費と人件費を加算して
約5倍〜10倍の請求させて頂く場合が御座いますので
お忘れなく必ず御入金して下さい。

【振込先口座】 =============================

 ●銀行またはコンビニから振り込みする場合     
   UFJ銀行:赤坂支店
    口座番号:普)4537879    
    口座名義:タカハシ ミノル

 ●郵便局から振り込みする場合
    通帳記号:10100
    通帳番号:90300211
    通帳名義:タカハシ ミノル

=========================================
振り込みの際には必ず徴収整理番号を
名前の前に御入力して下さい。
......................................................
(有)タカハシ総業
   債権管理事務所
   東京都港区赤坂3−7−1−3F
    代表:高橋 実   
   TEL:03-3350-9340
   FAX:03-3350-9341
 徴収課担当:藤原 勇次
 

 「ファーストクラブ、アダルト」で検索を掛けると、沢山の同じ文面の情報があります。かなりの人達が全く同じものが送られています。万一不幸にして送られたら、これらのサイトを覗くのも手です。残念ながら(?)「ファーストクラブ」というアダルトサイトはありません。

   
   5月3日 憲法記念日

 憲法記念日に際し日本国憲法の前文を改めて紹介します。


 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
 
   
   5月2日 八十八夜
 

 立春から数えて88日目。俗に「八十八夜の別れ霜」といい、これ以後霜害が少なく、種まきの最適期とされます。
 手紙の時候の挨拶にも「新緑の頃」、「若葉の候」、「新緑が野山に萌える頃となり」、「青葉若葉が日に映えて目にしみるような季節となりました」、「吹く風も夏めいて」、「葉桜の匂う頃となり」等と夏への助走が始まります。


 「茶摘(ちゃつみ)」

            作詞作曲不詳/文部省唱歌

夏も近づく八十八夜、
野にも山にも若葉が茂る。
あれに見えるは茶摘じゃないか。
あかねだすきに菅(すげ)の笠。

日和(ひより)つづきの今日このごろを、
心のどかに摘みつつ歌う。
摘めよ摘め摘め摘まねばならぬ。
摘まにゃ日本の茶にならぬ。

 

 「♪夏も近ずく八十八夜、野にも山にも若葉が茂る・・・」と唄われるように新緑の映える時期になります。この時期に摘むお茶が新茶といい、最も旨味(うまみ)のある一番茶として珍重されてい ます。実際には4月上旬には新茶の初競りが行われています。

   
   5月1日 薔薇の花束
   私の誕生日にと贈ってくれた花束です。本当の誕生日より1年近く違っていましたが、あまりの美しさに喜んで頂戴しました。花束と言っても写真ですが、デスクトップ(表紙)の背景の写真に使って、私は大事に毎日眺めています。
 よかったら、皆様にもこの花束を贈りましょう。どうぞお持ちになって下さい。

 

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