[最近思う事] 2003年

                                                                                                                   《 9月下旬へ》

    9月15日  手相見
 

 9月15日は敬老の日です。
100歳以上が二万人を超えたといわれます。そんな長命な世の中になったようです。

「短命と言われ続けて米寿の日」 吟醸

 我が母が米寿を迎えた日に母親が、どんな占い師に見て貰っても、「貴女の生命線では短命だから、いつその時が来ても良いように生活しなさい」と言われ続けて暮らしてきました。ところが、どっこい平均寿命を越してしまった。今、肉体的にはどこも悪くなく、いたって健康な生活を送っています。
 「どうして私は、短命なのにこんな長生きしたんだろうね」、私「それは簡単”短命”だから」。

   
    9月14日  「けいとう」の花
 

 夏の花と言えば、「ひまわり」と、この「鶏頭」でしょう。
鶏の鶏冠(とさか)のような変わった形の花ですが、燃える火のような情熱を感じます。この燃えるような様が夏のイメージをかき立てます。

写真をクリックすると大きな写真が見られます。

 

   
    9月13日  風力発電
 

    愛称は「東京風ぐるま」。

 東京湾埋め立て地に建設された風力発電機です。近くによると風切り音のビュンビュンと音を発てています。この風車の真上を羽田空港に侵入する航空機が通過しています。ドンキホーテが風車に挑戦するようです。
 2基の風力発電機にはデンマークのVESTAS社製が採用され、高さ44m、羽根車(ブレード)直径は52m(半径26m)で、450mの間隔をおいて建設されています。発電出力は 2基で1700kW、年間発生電力量の約250万kWhは、一般家庭約800世帯分の年間消費電力量に相当します。電力は東京電力株式会社に全量が売電されています。
 これからは臨海部のランドマークとしての象徴的施設となるでしょう。

http://www.j-wind.jp/  に発電会社の詳しい解説が載っています。

http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/sgw/renewable/huryokuhtsuden.htm  に「建設までの道のり」が載っています。

   
    9月12日  北朝鮮工作船
 

 東京・「海の科学館」に銃撃戦の末、自爆沈没し、引き上げられた工作船が一般公開されています。
 平成13年12月22日午後10時9分、工作船からの攻撃により巡視船「あまみ」、「きりしま」、「いなさ」が被弾しました。このため巡視船「あまみ」は正当防衛として、同船に対して射撃を実施、また、午後10時10分、巡視船「いなさ」も正当防衛として、同船に対して射撃を実施した。
 その後、午後10時13分、同船は自爆用爆発物によるものと思われる爆発を起こして水深90mの海底に沈没しました。平成14年9月11日引き上げられ、展示されています。
 全長30m、巾約5mあり、船首部分に被弾し何カ所も穴が開いているのが確認出来ます。船首甲板は自爆で吹っ飛んで大きな空洞になっています。後部船内は船尾に扉が着いていて、小型船が格納されていました。
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 主催協力の日本財団会長 曽野綾子氏のメッセージが3カ国語で表示され、花が添えられています。「2001年12月22日九州南西海域で沈んだ朝鮮民主主義人民共和国の若者たちに捧げる」。 文人の心のこもったメッセージです。

   
    9月11日  十五夜(じゅうごや)。中秋の名月
 

 9月11日は中秋の名月。旧暦の 8月15日の夜の月で、文学的には十五夜、芋名月(いもめいげつ)などとも呼ばれます。月見の宴が行われるようになったのは、中国では唐の時代、日本では平安時代の前期といわれ ます。 日本では、この頃はくもりや雨が多く、月が見られないことが多いので、中秋無月と言い、特に雨に降られて月が見えないときを雨名月(あめめいげつ) 、雨月(うげつ)などと言います。10日の晩は雲の合間から素敵な満月、待宵月と火星が見えています。 
 十五夜の前後の旧暦8月14日から20日までの月は、
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  旧暦8月14日  今年の9月10日 待宵(まつよい)
     8月15日       9月11日 十五夜(じゅうごや)
     8月16日       9月12日 十六夜(いざよい)
     8月17日       9月13日 立待月(たちまちづき)
     8月18日       9月14日 居待月(いまちづき)
     8月19日       9月15日 臥待月(ふしまちづき)
     8月20日       9月16日 更待月(ふけまちづき)
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
と順に名づけられており,何かと名月を眺めたいという強い思いがうかがわれます。

   
    9月10日  金子みすゞ
 

金子みすゞ写真 生誕100年を迎えた金子みすゞ。大正時代末、彗星のように輝いた童謡詩人で、明治36年(1903)4月11日に山口県長門の漁港・仙崎に生まれた。みすゞ(本名テル)は、幼い頃より文学に親しみ、 娘時代下関の上山文英堂書店で働き始める。店番の合間に書物を読み、20歳の時に当時全盛を誇っていた童謡雑誌に“みすゞ”というペンネームで投稿を始める。詩人・西条八十にその才能を見い出されます。身近な自然や日常の出来事を独自の新鮮な視点でうたった童謡は、次々に雑誌で発表され、読者の心を魅了してゆきました。
“みすゞ”というペンネームは、信濃国の枕詞、みすずかるという言葉の響きを好んでつけたもの。
 昭和5年(1930)3月10日、26歳で他界。
「若き童謡詩人の中の巨星」とまで称賛されましたが、早世した詩人の美しすぎる詩に感動します。
 

   はだし

 土がくろくて
 ぬれていて
 はだしの足が
 きれいだな

 名前も知らぬ
 ねえさんが
 はなおはすげて
 くれたけど


              

    
大漁

 朝やけ小やけだ
 大漁だ
 大ばいわしの
 大漁だ

 はまは祭りの
 ようだけど
 海のなかでは
 何万の
 いわしのとむらい
 するだろう


 
 
   
土と草

 かあさん知らぬ
 草の子を
 なん千万の
 草の子を、
 土はひとりで
 育てます。 

 草があおあお
 しげったら、
 土はかくれて
 しまうのに。


 
 

 お日さん、雨さん

 ほこりのついた
 芝草を
 雨さん洗ってくれ
 ました。

 洗ってぬれた
 芝草を
 お日さんほして
 くれました。

 かうして私が
 ねころんで
 空をみるのに
 よいやうに。
 
  草原の夜

ひるま子供がそこにいて、
お花をつんでいたところ。

夜ふけて、
天使がひとりあるいてる。

天使の足のふむところ、
かわりの花がまたひらく、

あしたも子供に見せようと。

                

 金子みすゞについて、詳しい紹介があります。 http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/misuzu0,.htm 結婚の秘話、病床で伏せっていた時の様子、死因について、語られています。

   
    9月9日  金利
 

 あるマンションの修繕積立金七千万円について、普通預金で1年間寝かせると幾らぐらいの金利(利息)が付くか、お分かりですか? 1万円ぐらい? 少ないと言われているから千円台、いえ百円台?・・・。少 〜し考えてください・・・。
 正解はなんと349円です。たったのです。バブルが弾ける前はこれだけの金があれば、旅行や食事や好きなものが買えました。そんな大金です(今でも)。
 ところがですよ、もっとスゴイのは、ここから国税52円、地方税17円を取られて、手取り280円です。こんなはした金から税金なんか取るな! と言いたいです。
 結局七千万円の受取利息は280円です。決算時期に残高証明を取ると赤字になります。嗚呼なんたることだ!
 UFJ銀行も三井住友銀行、東京三菱銀行等も皆横並びの金利ですが、みずほ銀行だけは税引き後利息239円です。ここが一番ひどい!。

   
    9月8日  名も知らない素敵な花
 

 名前が分からない花です。またお尋ねします、誰か名前を教えてください。
 素敵な花です。葉もなく、土から直接茎が伸びて、その先に紫の素敵な花を付けています。なにか絵本の中で出会った事があるような、漠然とした記憶の中で、「あ!本物があるんだ」と、変な感動を覚えた花です。

写真をクリックすると大きな写真になります。

とこさん、名前を教えて頂きありがとうございます。
 名前はコルチカム
 (別名;イヌサフラン)
ヨーロッパから北アフリカが原産地の多年草です。球根から花茎だけが突然に伸びてきて桃紫色の花が咲きます。球根を机の上に置いておくとそのままで花が咲きますので人気のある品種です。夏には枯れて休眠する植物です。

   
    9月7日  萩
 

 落語「安兵衛狐」で取材に行った亀戸萩寺で出会った”萩”です。まだ2分咲きで、華やかさにはまだ時間が掛かりそうです。今月の中旬過ぎが見頃のようです。

落語「安兵衛狐」は近日中に公開です。(前宣伝!?)

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    9月6日  コスモス
 
        
        

 渡瀬遊水池(埼玉県側)の休耕田に1年だけのコスモス畑が誕生した時のものです。写真のロマンスカー(東武日光線)に乗っている時、窓の外を見ていていつまで経っても延々とコスモスの原野。乗客一同が窓の外を観て知らないお客同士、歓声を上げたのを今でも思い出します。 日光から急遽引き返してきて撮影した時のものです。今は幻のコスモス原野。

それぞれの写真をクリックすると大きな写真になります。

   
    9月5日  着メロランキング人気ベスト10
 
1位 先週5位 涙の海で抱かれたい〜SEA OF LOVE〜 サザンオールスターズ
2位 同3位 踊る大捜査線 RHYTHM&POLICE 映画「踊る大捜査線」より
3位 FURIOUS 映画「ワイルド・スピード」より
4位 上海ハニー オレンジレンジ
5位 10 夏の終わり 森山直太朗
6位 いつか風になる日 元ちとせ
7位 forgiveness 浜崎あゆみ
8位 アンドロメダ aiko
9位 Realize 玉置成実
10位 死ぬほどあなたが好きだから 時給800円

TUTAYA 「メロKING!ランキング」 2003/9/1付 より

 その週でのランキングで、CD売上げランキングのように激しく動いています。累計になるとどれが一番使用数が多いのでしょうか。私は悲しいかなどれもメロディが浮かんできません。(^_^;  その上、当然かも知れませんが、クラシックからは一曲も入って無いんですね。

   
    9月4日  ランキング、ベスト10
 

 まずは10位から紹介します。

10位 カンツォーネ 「オー・ソレ・ミオ」   E・カブア
9位 「G線上のアリア」 バッハ
8位 組曲惑星から「木星」 ホルスト
7位 歌劇”イーゴリー公”より「ダッタン人の踊り」 ボロディン
6位 交響曲第9番「合唱付き」 ベートーベン

 何のランキングだかここまでで、分かりましたか。そー、感のいい方は分かったようですね。
これは、
携帯電話”着メロ、クラシック人気ベスト10”です。    それでは5〜1位までのランキングを・・・。

5位 協奏曲集四季より「春」 ヴィヴァルディ
4位 「ノクターン”遺作”嬰ハ短調」 ショパン
3位 歌曲「アヴェ・マリア」 シューベルト
2位 交響曲第5番「運命」 ベートーベン
1位 「パッヘンベルのカノン」 J・パッヘンベル

 TV・「題名のない音楽会」調べによるランキングです。貴方の着メロにも使われていますか。

   
    9月3日  「MSブラスター」制作犯人逮捕
 

 アメリカの18歳の大学生が逮捕されました。それを作っているのを友人が見ていて、通報されたことから逮捕されたものです。なにか犯罪の大きさから見ると、捜査、逮捕劇は幼稚なもので す。パソコンウイルス制作者は大概捕まっているようです。ただ、犯人が捕まっても、ウイルス自体はインターネットの世界を一人歩きしていますので、まだまだ注意が必要です。

 いつも思うのですが、これだけの頭脳と技術があればもっと建設的な事が出来るのになぁ〜と、思うのは間違いのようでした。愉快犯のように回りがアタフタとしているのが楽しいようです。それと、釈放された後にはプロの世界が待っているようです。プロへの登竜門?

   
    9月2日  蔵前橋橋脚補強工事
 

 隅田川に架かる蔵前橋。この橋の耐震強化工事で橋脚を補強しています。水面下は通常見る事が出来ませんが、ご覧のように回りを鉄ブロックで囲って、水を抜き空気にさらされています。上から見ると水面下の橋脚はフレアースカートのようにふくらんでいますので、以外と大きなものです。タイタニックがぶつかった氷山のように水面上は小さく見えても、水面下は以外と大きなものだと気づきます。
 高速道路の橋脚は鉄の鉢巻きをしたり、コンクリートで大根足にしたりと、補強も完成の時期になりましたが、橋などはこれからなのでしょうか。

 東京タワーは怪獣達に何度となく倒されていますが、大震災用には補強工事は改めて、してませんが、大丈夫なんでしょうか。

   
    9月1日  関東大震災記念日 二百十日防災の日
   都立横網町公園復興記念館・屋外ギャラリー及び東京都慰霊堂(旧・震災記念堂)、(墨田区横網(よこあみ)町2−3)より

  大正12年(1923)9月1日午前11時58分に発生した関東大震災の被害は、死者及び行方不明者10万6千人余、負傷者5万2千人余、家屋の被害は69万4千戸余にも達した。ことに家屋の密集した東京の下町では、地震後発生した大火災による猛火、熱風により、諸処の建築物はもちろん多くの人々が焼死し、その光景はさながら地獄絵の如く惨たんたるものであった。震災記念屋外ギャラリー説明板より。
 9月1日には「秋季慰霊大法要」がおこなわれます。

 陸軍被服廠跡地を陸軍省より買収し公園の造成を進めていた。、9月1日の関東大地震時は、周辺の住民が空地となっていたこの被服廠跡に避難してきました。ところが、折からの強風(火災旋風)によって運び込まれた家財道具などに飛び火し、瞬く間に燃え広がり3万8000〜4万強の人が焼死した場所です。ここで荼毘に付され遺骨の山が、人の背丈以上に積み上げられた程です。
 公園内には,関東大地震による遭難死者約5万8000人の遺骨を納めるため1930(昭和5)年に慰霊記念堂が、建設されました。また関東大地震の惨事を後世に伝え、東京の復興事業を記念して1931(昭和6)年に震災復興記念館が建設された。
 戦後、慰霊堂には東京大空襲(昭和20年3月10日)の死者の遺骨が納められ、復興記念館にも戦災に関する展示がされるようになった。
東京都慰霊堂説明板から。

 写真は同公園の平和を祈念した碑の花壇で、花壇はシーズンによって、花のデザインが変わります。 震災記念堂より撮影。写真をクリックすると大きな写真になります。

 

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