[最近思う事] 2003年

                                                                                                                   

                                                                                                                    《 10月下旬へ》

    10月15日  180円ラーメン
 

 100円ショップが賑わいを見せています。価格破壊は慣れてきましたが、何処まで下がるのか・・・。ラーメンの世界も同じ状況のようです。280円ラーメンが出現した時は驚きましたが、最近180円のラーメン店が出現して驚いているところです。
 安いから不味いのは当たり前? 違います。不味ければ、どんなに安くてもお客はリピーターになりません。ということは、まもなく閉店!!となるでしょう。あとは味だけです。

 食べてみました。結論を先に言うと、価格からすると「合格」です。味は昔からある”東京ラーメン”。日本そば屋さんで出す、中華そばです。量は平均的な8割方の量ですが、それは仕方がないことでしょう。割り増し料金を取られますが、大盛りを頼めば解決できます。 2杯食べてもまだ安い。
 餃子も180円で楽しめます。味は極普通の味わいで、過不足なしで及第点。両方とっても360円、考えられません。待ってください、セット料金になって350円で食べられます。本当にいいんでしょうか。

 店の前では、うさんくさそうに中を覗く客が後を絶ちません。昼時は並んでいますし、普通、店が一休みする3時頃もお客さんが大勢入っています。

 この店もお客に支持され繁盛することでしょう。

   
    10月14日  日本丸
 

  横浜「みなとみらい21」にある帆船「日本丸」です。

写真をクリックすると大きな写真が見られます。

 横浜で最初に建造された「ドック」に展示係留されています。月に1,2度帆を張って見せてくれます。帆船は船の貴婦人と言われるだけあって、優雅で気品があります。 毎非公開日早朝、甲板磨きのボランティアが出来ます。素足で椰子の実を半分に割ったもので、水を付けて擦ります。楽しそう(?)ですよ。

船種 帆船(4檣バーク型)
定員 138名
総トン数 2278t
全長 97m
13m
平均喫水(水面下) 5.3m
総帆数 29枚(畳1245枚分)
最高マストの高さ 水面から46m

日本丸の現役時代

昭和5年3月31日建造造船所から文部省に引き渡され、以後姉妹船「海王丸」とともに初期の目的に沿って、内南洋を含む太平洋を主体とした訓練航海に従事しました。

現役時代の日本丸 その後、昭和16年に太平洋戦争が勃発し、戦争が激化してきた昭和18年には文部省所属の下、各商船学校が所有し、運航していた全ての練習船は逓信省の管轄となり、船員教育と同時に瀬戸内海・大阪湾を主体に緊急物資の輸送に従事する事になり、ヤードなど帆走用具は全て取り外し、機船としての姿に変わりました。大戦中、日本丸、海王丸とも、幸いにして戦禍に見舞われることなく、終戦を迎え、その後は復員船、遺骨収集船として活躍、昭和26年日米講和条約の締結を待って、再度、帆走用具の取り付け工事を行い、昭和28年の春、日本丸は戦後初めての遠洋航海としてハワイのヒロに向けて白帆を掲げました。

昭和59年まで「太平洋の白鳥」、「海の貴婦人」と呼ばれながら訓練航海に従事してきました。日本丸がその間に育てた実習生の数は11,500名、航海した距離は183万キロ(地球45.4周)にもおよびました。
( パンフレット及びホームページ http://www.nippon-maru.or.jp/top.html より)

   
    10月13日  横浜「みなとみらい21」
 

 横浜の埋め立て地に、いろいろな建物や建造物が建ち並んできました。
今、発展段階の最先端にある、 その場所を”みなとみらい21”地区と言います。桜木町駅下車約10分。
 左の写真はランドマークタワー http://www.landmark.ne.jp/ という建物。この地区で1番高い建物です。60階以上あるのは分かりますが、それ以上は写真と同じように分かりません。街角の至る所にすばらしい彫刻が配置されて、心豊かになること請け合いです。
 右の写真は観光船の港の発着所があるところの彫刻です。後ろの大観覧車「コスモクロック21」http://kanko.tabimado.net/kanko/go/resource$id=SBTP000129 は日本一の、との触れ込みの大きさがあります。左の半円形の建物はホテル、ヨコハマ・グランド・インターコンチネンタル・ホテルhttp://www.interconti.co.jp/yokohama/index_pc.html で、ヨットの帆をイメージしています。どちらも、この地区のシンボルの様な建造物です。

写真をクリックすると大きな写真が見られます。

   
    10月12日  高岡 照海さん
 

世界に桜「陽光」 を送り続け、第6回「まちかどのフィランソロピスト賞」を受賞 

 愛媛県川内町の造園業を営む。61歳。2年前に92歳で亡くなった父、正明さんと2人でこの9月、「まちかどのフィランソロピスト賞」 (日本フィランソロピー協会)を受賞した。正明さんが平和の願いを込めて開発した桜「陽光」を父子で約40年間、世界各地に贈り続けてきた。これまで中国、米国など計5カ国に贈った桜は約5万本に上る。

  戦時中、青年学校の教師をしていた父、正明さんは、約300人の教え子を戦地に送り出した。校庭の桜の木の下で記念撮影し、「ここでまた会おう」 と誓ったはずが、生還したのはわずかだった。

  「『日本が負けるはずはないから、しっかりやれ』 と送り出しただけに、責任を感じていたようです」 。平和への願いを込めた桜を世界に贈り続けた父を、痛々しく思いながら見守るしかなかった。

  父は世界各地で育つ、暑さ、寒さ、潮風に強い桜をつくろうと、苗木や種を求めて全国を駆け回った。「金にならない桜ばかり追いかけんと、少しは家族のことも考えてくれ」 と反発したこともある。だが「教え子への償い。やらせてくれ」 と、懇願された。自分もいつの間にか、手伝うようになった。

  やがて生まれた「陽光」 は害虫に強く、寿命も100年と長い。春には鮮やかなピンクの花を咲かせる。松山を流れる石手川沿いの公園など、県内にも多く植えられるようになった。

  正明さんが亡くなってからも、丹原町内で育てている苗木を毎年3千本、贈り続けている。「父への供養のつもり。父は桜を贈っていないと、生きられない人だった。自分にもそんなところが移ってしまったんだなあ」 。照れる表情の向こうに、誇りが垣間見えた。(朝日新聞 多知川節子)


 「まちかどのフィランソロピスト賞」(日本フィランソロピー協会)とは

 同賞は1997年より開始されており、私財を社会に役立てた人を顕彰し、日本の社会の中に寄付文化を根付かせ、さらに日本ではほとんど知られていなかった善意の寄付の実態を少しでも明らかにしていくことを目的としている。
 対象者は「私財を社会のために投じた個人またはグループ」「社会のために寄付を集め、それを他者に寄付をした個人またはグループ。(故人も対象)」とし、応募方法は他薦に限る。
 寄付額を競うものではなく、フィランソロピー(語源は人類愛)にふさわしい寄付をした、社会のために大変役立つ寄付をした、寄付にあたって人々を感動させるようなエピソードをもつ−−などを対象としている。

 ■第一回受賞者は今井保太郎氏。家族が関東大震災に遭い財産を失った後、繊維問屋に丁稚奉公に入り商売を覚え、終戦後に独立し成功を収めた。
 その後、私財を投じ第一号の公益信託を開発。現在12の基金を設定。出捐金額は総額3億8千万円に上り、公益信託を広めるべく各信託銀行に積極的に働きかけた。

 ■第二回受賞者の江國和彦氏は、石材店を営み、城の修復などを中心に自治体の仕事などを手がけ、長女知恵子氏が脳性小児麻痺となっていたことなどから、1970年頃より福祉施設に寄付を続けている。
 1997年に妻正子氏が急逝した後は、正子氏の思いから、知恵子氏がこれまでお世話になった施設、これからお世話になるであろう施設のために、家業を生かして石材による彫刻作品の寄贈を開始。これまでに30ヵ所以上の福祉施設、学校などに寄贈している。

 ■第三回受賞者は永瀬隆氏(本名:藤原隆氏)、太平洋戦争時、タイ国で旧日本陸軍通訳として従事。
 帰国時にタイ政府から支給された「飯盒1杯のお米」に感激し、1986年タイに「クワイ河平和基金」を設立。
 小中学生・看護学生に奨学金を授与し、連合軍兵士及び日本兵のための寺院建立、老人ホームの設立など、タイ国への寄付を続けている。

   
    10月11日  ビール二題その二  乳がんの発生を抑える
 

乳がん抑制効果 人間だと大瓶1本 がん学会で発表 

 ビール成分に乳がんの発生を抑える働きがあることが、キリンビールと国立がんセンター、岡山大学の研究グループのラットを使った実験でわかった。ただしアルコールは乳がんの危険因子との報告もあり、研究グループは「適量の飲酒を心掛けてほしい」という。名古屋市で開催中の日本癌(がん)学会で25日発表された。

 研究グループは、生後6週目の雌のラット30匹に、凍結乾燥したビール粉末を4%入れた飼料を22週間にわたり食べさせた。人間では1日当たりビール大瓶1本を飲むことに相当するという。
 さらに、実験開始1週間後から3週間後にかけて、乳がん発生の原因となる発がん物質「PhIP」を合計8回経口投与した。
 ビール粉末を食べさせない以外は、同様の飼育をしたラット30匹との間で乳がんの発生率を比較したところ、ビール粉末を食べたラットの乳がん発生率は38.5%で、食べていないラットの73.3%を大幅に下回った。
 これまでの研究で、PhIPがDNA(デオキシリボ核酸)と結合体をつくると、DNAに異常が生じ、がんになる危険性が高まることが分かっている。
 実験後の解剖で、ビール粉末を与えたラットの乳腺では、この結合体の数がビール粉末を加えなかったラットの約4分の1になっていた。ビール粉末がPhIPの作用を促進する酵素「CYP1A2」の働きを抑制することも分かった。

 研究チームによると、ビール原料のホップに含まれる苦味成分のイソフムロン類が関与しているとみられるという。
 乳がんの患者数は3万3676人(98年厚生省調べ)。女性の部位別がん患者数も乳がんが15.8%と一番多く、年々増える傾向にある。 (2003.09.25.毎日新聞より)

   
    10月10日  ビール二題その一 新発見!ホップの効果
 

ホップとは?
 ホップはアサ科のつる性の植物で、雌株と雄株があります。ビールに使うのは雌株につく雌花の集まりの毯果(きゅうか:花のかたまり)です。ホップの原産地はコーカサス地方といわれ、ビールに使われ始めたのは12世紀頃、栽培が盛んになったのは14世紀以降といわれています。それまでは種々の薬草(グルートといわれていた)を混ぜて飲んでいましたが、ホップが使われるようになってビールの品質も一段と向上しました。ビールの苦味はホップに由来します。その成分はイソフムロンといわれる物質で、後に引かない爽快な“苦味”が特長です。しかし、ホップはビールに独特の“香り”や“苦味”を与えているだけではありません。ビールの製造工程中で、余分な蛋白質を凝固・分離してビールを清澄にしたり、ビールの“泡立ち・泡持ち”をよくすることに役立っています。ビール醸造の歴史において、経験的にビールの苦味成分は雑菌の繁殖を抑え、食中毒菌や病原菌が増殖しにくくすることがわかっていました。
 アサヒビール・グループでは、特にビール製造後の廃棄物ホップに注目し、ホップポリフェノールの研究を行っていますが、最近、このホップポリフェノールが、腸管出血性大腸菌O157や虫歯菌の働きを抑制することを確認することができましたので、ご紹介します。(アサヒビール・ホームページから)

(吟醸注;ビールの中に含まれているわけではありませんので、いくらビールを飲んでも効能はありません)

   
    10月9日  酒蔵廃業
 

 日本酒のシェアーがしぼんでいます。大阪のこの蔵も廃業になりました。
私のところにいただいたメールを紹介して、蔵の現実を知ってもらいましょう。

拝啓、清秋の候、時下益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
長年にわたり「近つ飛鳥」並びにオキナ酒造株式会社をお引き立て
いただき、誠にありがとうございました。

さて、既に弊社ホームページにおきましてご案内の通り、本年九月末日を
持ちまして、オキナ酒造株式会社を廃業いたしました。

つきましては、貴社ホームページにおかれまして、弊社ホームページへの
リンクを貼っていただいておりますが、弊社ホームページもまもなく
閉鎖いたしますので、誠にお手数ではございますが、リンクの解除を
お願いいたします。
尚、このメールと入れ違いに、既に処理いただいておりましたら、
お許しください。

末筆ながら、皆様の益々のご発展とご健康をお祈りしております。 敬具

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オキナ酒造株式会社
583-0854 大阪府羽曳野市軽里3-6-5
電話:0729-56-0003 FAX:0729-58-8964
URL: http://homepage1.nifty.com/okina/
e-mail: okina@mba.nifty.ne.jp

   
    10月8日  自転車
 

 「横浜 バイスクル ミュージアム」(左の写真 、桜木町6)にて、自転車の歴史を見てきました。自転車の歴史というより、自転車競技車の歴史です。ここは自転車振興会の資料館。競輪の歴史と実車の展示、車券の組み立て方と買い方等、競輪全般に渡っています。中野浩一の最後に乗った自転車とか、オリンピック競技で使われたレーシング自転車とかが飾ってあります。当然今使われている競技用自転車も飾られています。70km /hの速度が出るのにブレーキが無いのは知っていましたが、車体の軽さには驚きです。

下左図はご存じ「オーディナリーの自転車」1880年オランダ製。
下右図は最新のレーサーです。もちろん日本製。後輪はディスクホイールです。

        
   
    10月7日  サンマまつり
 

 本家はどっち−−品川区「目黒駅前」Vs目黒区「区民まつり」

 「サンマは目黒に限る」のオチで知られる落語「目黒のさんま」にちなんだ目黒区と品川区の二つの「目黒のさんま祭り」が、今年も開かれた。商店街や地域活性化のため、ともに96年に始まり、計約6万人が訪れる名物行事に成長した。サンマや付け合わせの材料提供地などさまざまな要素が対照的なため、「目黒のサンマはどちらに限る?」と毎年話題を呼んでいる。

 今年は、9月14日にJR目黒駅前の品川区「目黒駅前商店街振興組合」主催の「目黒のさんま祭り」が、9月21日には目黒区民まつりの一環の「目黒のさんま祭」が同区目黒1、田道(でんどう)広場公園で行われ、ともに焼いたサンマが無料でふるまわれた。

 品川区の「祭り」は、上大崎の誕生八幡神社を中心とした目黒通り沿いで行われる。同振興組合が、急速にビル化された街並みに昔ながらの温かみを取り戻したいと始めた。98年から岩手県宮古市がサンマを、徳島県神山町がスダチを無料で提供。00年からは栃木県黒磯市の青年団が大根おろし用大根を提供している。今年もサンマ5000匹、スダチ1万個と大根が贈られる。

 一方、目黒区の「祭」は、宮城県気仙沼市の市民有志が町おこし企画として同区に提案し、同区「田道地区住民会議」の協力で始まった。毎年気仙沼市市民有志から5000匹のサンマ、大分県からカボスが提供される。焼きサンマ配布は、午前10時から整理券が配布される。毎年午後2時ごろまでにはなくなるという。  

 残念ながら、今年は両祭りとも終了してしまいましたが、来年に期待しましょう。

   
    10月6日  十月桜
   まずは写真をご覧ください。桜です。この時期にです。桜の種類は200を越えると言われています。1・2月頃から咲き始める緋寒桜 (別名;「かんひざくら」(寒緋桜))から始まり、10月までそれぞれの品種が咲いています。しんがりの代表選手「ジュウガツ桜」です。季節を間違えて咲いているのではなく、この時期に咲くのが、この花の本領です。

皇居・御苑にて

   
    10月5日  迷惑メール
 

携帯電話に約304万件送った男、逮捕

 携帯電話に無差別にメールを送りプロバイダーの業務を妨害したとして、警視庁捜査1課と巣鴨署は10月1日、韓国籍の山口県下関市垢田町1、職業不詳、趙義明容疑者(45)を偽計業務妨害容疑で逮捕した。

 調べでは、趙容疑者は自宅のパソコンから発信元を隠し、3月4日から8日間で約304万件のメールを携帯電話に送った。このうち、送信不能のメール約20万件がプロバイダーのサーバーに蓄積され、一般利用者のメールが数日間、相手に送れなくなるなど、プロバイダーの業務に支障を及ぼした疑い。

 趙容疑者が送信したメールは出会い系サイトなど有料情報サイトを宣伝する内容で「迷惑をかけたことは間違いない」と容疑を認めている。 【毎日新聞10月1日 川辺康広】

 未着メール20万件もすごいが、失敗(?)率が7%しかないのは驚異的です。304万件をたった8日間で送ったことは、1日当たり38万件も送ったことと、それを送り出したシステムが凄い。

   
    10月4日  キンモクセイ(金木犀)
 

 今頃町を歩いていると、何処からともなくイイ香りが漂ってきます。この時期の香りの花”キンモクセイ”がゴールドの花をつけています。花といっても小さな見てくれのイイ花ではありませんが、香りは抜群です。 高さが中木で常緑樹ですから、日よけに建物の西側に植えられることが多いので、香りの元が分からない時は、西側を探すと見つかることが多いようです。

   
    10月3日  地震雲
   この2−3日大きな地震雲を見ることがあります。飛行機雲が時間が経って横に広がったような雲です。または、朝日新聞社の社旗のように、ある一点から上記のような、すじ雲が複数伸びていることもあります。学会で100%認知されている訳ではありませんが、一部の学者間では真剣に論じられています。地殻変動が起きるとそのエネルギー(電磁波)が地中から空中に放射されます。その影響で独特の地震雲が出来ると説明されています。事実この地震雲が現れた後1週間以内に、震度3以上の地震が起きています。
 いま釧路地震の余震が続いていますので、その影響かも知れません。また、その地震と関係なしに現れているとしたら、関東近辺で近々地震があることになります。
 当たらなければ、幸いと思っていますが、どうでしょうか。

 5日午前0時29分頃岐阜県飛騨地方で震度4の地震がありました。被害の無かったこの地震で終わってくれたら良いと念じてます。

   
    10月2日  夢路いとしさん78歳=漫才師 
 

 弟の喜味こいしさんとの「しゃべくり漫才」で人気を集めた漫才師、夢路いとし(ゆめじ・いとし、本名・篠原博信=しのはら・ひろのぶ)さんが 9月25日午前0時35分、自然気胸と肺炎のため神戸市内の病院で亡くなった。78歳だった。葬儀は26日に近親者で済ませた。「お別れ会」の日程や場所などは未定。自宅は兵庫県宝塚市中野町7の6。喪主は長男和彦(かずひこ)さん。

 横浜市生まれ。父が新派の役者で、7歳のときに初舞台を踏んだ。日活の子役として映画にも出演した。1939年、14歳で上方漫才の草分け的存在だった荒川芳丸に入門。弟勲さんと「荒川芳博・芳坊」の名で子供漫才コンビを組んだ。48年、「夢路いとし・喜味こいし」と改名。「家庭もの」を中心に、大阪弁の持つ豊かな表現で庶民の哀歓を語り、味わい深い正統派の話術漫才の名コンビとして長年にわたって活躍した。主な演目に「交通巡査」「三十年目の新婚旅行」などがある。

 俳優としても、舞台やテレビに数多く出演。毎日放送の視聴者参加番組「がっちり買いまショウ」(63〜75年)での早口の軽妙な司会でも人気を集めた。コンビで上方漫才大賞(69年)、芸術選奨文部大臣賞(92年度)などを受賞。93年に紫綬褒章、98年に勲四等旭日小綬章。99年には大阪市から漫才では初めての無形文化財に指定された。 [毎日新聞  9月28日]

 合掌

喜味こいし 夢路いとし
本名;篠原 勲 本名;篠原 博信
昭和2年11月5日生 大正14年3月27日生
出身地;横浜市 出身地;横浜市
趣味;ゴルフ・将棋 趣味;読書(SF小説)
   
    10月1日  花
 

 長い房状の花を付けています。実(種?)はサヤエンドウの様な形をしてイヤリングの様に垂れ下がっています。秋を感じさせる花です。

名前は分かりませんが、素敵な花です。

 とこさんから、鑑定結果が出ました。
 クレオメ(フウチョウソウ科・西洋風蝶草)スパイダーフラワー(蜘蛛?)いろいろ申しますが、吟醸さんにお似合いの名は「酔蝶花」ですね。
毎回ありがとうございます。

写真をクリックすると大きな写真が見られます。

 

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