[最近思う事] 2004年

                                                     《 1月下旬へ》

   1月15日   1円硬貨は500円
 

 アルミ1円硬貨が今、市中で500円のプレミア価格を出しています。ただし、未使用の平成12〜14年製の1円硬貨だけです。発行枚数が少なくなったためにプレミアが付いたものです。
 平成元年23億枚、平成2年27億枚発行していたのが、平成12年1200万枚に激減、平成13年はもっと減って800万枚、平成14年960万枚しか発行されていないからです。元年から比べると約3%しか製造されてい ないのが原因です。
 この理屈で行くと、平成12年の5円硬貨と50円硬貨は要注意です。財布から外しておきましょう。
 昭和37年100円銀貨は100万円出しても買えません。ゴメン、この年は発行していませんでした。

 貴方の机の中か、財布の中に紛れ込んでいませんか。写真を載せるつもりでいましたが、残念ながら私の手元には一枚もありません。

   
   1月14日   不忍池
 

 上野公園不忍池(しのばずのいけ)です。
 冬の空は陽が落ちるのが早く、鳥たちは早くもねぐらを探しに飛び立ち始めました。水鳥達は水の中でも寒くはないのでしょうか。よけいな心配をしてしまう寒さの中、日没が迫っています。シルエットの中央のお堂は弁天島の弁天堂です。

写真をクリックすると大きな写真が見られます。

落語「不忍池」ではなく・・・、「ねぎまの殿様」公開しましたのでごお立ち寄りください。

   
   1月13日   冬の春
 
 
 イチョウ並木    桜のツボミ

 寒い冬が続いています。11/25に紹介した神宮外苑の黄金色のイチョウ並木はご覧のように枝だけになって天を目指しています。葉一枚もなくこれからの冬に備えています。
 公園の桜は寒空の下でも、春に備えて大きなツボミを抱えています。春になれば確実に花開く花芽です。愛おしくなりますね。
 写真をクリックすると大きな写真が見られます。

   
   1月12日   巣立つ若者に送る詞。「大事なものは」
 
 
 時間管理セミナーで、錚々たる敏腕ビジネスマン達を前に、講師が非常に印象的な話をした。

 まず彼は大きな広口ガラス瓶を取り出した。 その中に次々と握り拳大の石を一つずつ、静かに入れてゆき、瓶の口まで達するとクラスに尋ねた。「この瓶は一杯かな?」 全員が声を揃えて「はい」と答えた。
  「本当かな?」講師は言い、バケツ一杯の砂利石を取り出すと、瓶に注ぎ、瓶を小刻みに振った。小石は大きな石の間に滑り落ちて、再び瓶を満たした。 「この瓶は一杯かな?」 講師は尋ねた。
 クラスの殆どが「はい」と答えたが、「多分違いますね。」クラスの一人が言い、講師は「よろしい!」と言った。
 彼は机の下からバケツ一杯の砂を取り出すと瓶に注ぎ、砂は小石の間を伝って総て瓶の中に収まってしまった。 「この瓶は一杯かな?」彼は再び尋ねた。
  「いいえ!」クラス全員が叫んだ。 「よろしい。」彼は水差しを取り出し、瓶が一杯になるまで水を注ぎ込んだ。 

 彼はクラスを見回し「この事例の教訓は、何だろう?」と問うた。
  一人の仕事の虫が手を挙げ答えた。「どんなに予定が立込んでいるように思えても、頑張れば細かい隙間にまだ何か出来ることがある、ということです。」
  「ちが〜う!」と講師は答えた。「正解は、『もし最初に大きな岩を入れなければ、君たちは絶対にそれを後から入れることは出来ない』ということだ。」
 貴方の人生に於ける「大きな岩」は、何だろう? 貴方の子供、愛する人、教育、夢、価値ある主義主張、誰かを教え導くこと、貴方の熱愛することを行うこと、貴方自身の時間、貴方の健康、貴方の大切な人達。
  「大岩」を最初に入れておかなければ、それらを人生に組み込むことは全く出来ないことを覚えておきなさい。 もし貴方が些事(小石や砂)に汗していれば、貴方は人生を、本質的に重要でないことに費やしてしまう。 真に大事なこと(大岩)に本当に価値ある時間を使うことが出来なくなってしまうのだ。

  だから今夜(又は朝)この話を覚えているうちに、自問するが良い。 一体自分の人生で「大岩」は何だろうと。 そしてそれを瓶に最初に入れるのだ。

 

 この話は、息子がインターネットの中から見付けてきた言葉です。出典は分かりませんが(著者に感謝)、良い言葉です。成人式のこの日に若者に贈ります。

   
   1月11日   笑いは健康のもと 「笑門来福」
 

 昔から「笑う門には福来る」と言いますが、笑うと血行がよくなり、血液には酸素が多く含まれ、細胞を活性化します。気分も高揚して元気になるようです。医学的にも「笑いは健康にいい」ことが証明されています。

 積極的に笑うことで、病気を吹き飛ばし、元気を取り戻したという話もよく耳にします。落語家や漫才師、漫談家はお客さんを笑いに誘い、いい気持ちにさせます。寄席を出たときは、気分もウキウキしてきます。病気で病院のベッドの上で療養している人もテレビやラジオで落語を聞いていると、痛みも和らぐと言われます。

 逆に、元気がない時や精神的に疲労している時は、そんな話を聞いても少しも面白くも楽しくもありません。ただ、白けて苦痛になるだけです。自分で「健康になろう!」と、思わないと悪循環を起こしてしまいます。
 少しでも、心の扉を開けると、笑いの薬(?)が流れ込んで、良い方に、良い方にと循環するのでしょう。健康な”貴方”笑う機会をもっと持ちましょう。

   
   1月10日   花粉症の人は少し安心?今年の飛散は少なめ
 

 「2004年のスギ、ヒノキ花粉の飛散傾向」によると、今年の飛散は平年より少なめとみられ「大量飛散だった昨年の10分の1以下となる所もありそう」と予想している。 冷夏の影響で今年の花粉は少なめ――。花粉シーズンを前に、民間気象情報会社のウェザーニューズ(東京)が6日までにまとめたもの。

 各地の飛散開始は、九州と四国が2月上旬、近畿、東海、関東が2月中旬、関東の北部沿岸、東北の南部沿岸、北陸が2月下旬、東北が3月上旬以降の見込み。

 花粉情報協会理事で兵庫県芦屋市立病院の吉村史郎医師は「日本人の2割近くが花粉アレルギーを持つとされ、敏感な人はわずかな花粉でも症状が出る。花粉が少なくても早めに予防薬を服用すれば症状に悩まされずに済む」と呼び掛けている。ウェザーニューズによると、前年夏が「高温、少雨」だと花粉は多くなる。一昨年夏はこの条件を満たしたため、昨年は全国的に平年並みか多めだった。一方、昨年の夏は「低温、多雨」の冷夏だったため「今年の花粉は平年より少なくなる所が多い」という。

 ホッとなさった方が居るのではありませんか。私を含めて。でも、2月の中旬からかぁ〜。

   
   1月9日   初詣で最多の8889万人 トップは明治神宮
 

 正月三が日の主な神社・仏閣への初詣での人出は、昨年より267万人多い8889万人だったことが6日、警察庁のまとめで分かった。統計が残っている1974年以降では最も多かった。ほぼ全国的に天候に恵まれたのが原因と同庁はみている。
  同庁では暮れに人出予想を発表していたがそれによれば、例年より人出は少ないであろうと考えていたが、逆になってしまった。
 私のように、3カ所に初詣したものは3人分としてカウントされるのでしょうか。・・・されるのでしょうね。私が一人で統計をゆがめていたのかな。

 7位までの 順位は昨年と同じでした。(警視庁ホームページより)

 行楽地では、10万人を超える所。行楽地への人出は26万人少ない418万人でした。

東京ディズニーランド・ディズニーシー(千葉) 37万1000人
ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(大阪) 12万3000人
和歌山マリーナシティ(和歌山) 10万9000人
苗場スキー場(新潟) 10万人

ディズニーシーの人気が群を抜いています。さすがに凄い!

   
   1月8日   お餅には気を付けて
 

 お餅は日本の食文化の一つとして一年中食べられていますが、特にお正月には欠かすことができないものです。しかしながら、毎年お餅を喉に詰まらせるという救急事故が後を絶ちません。

 70歳代・80歳代といった噛む力や飲み込む力が弱くなるとともに、詰まりかけたときにむせる反応も弱くなってきた高齢者層に多く発生しているようです。
 しかし、50歳代・60歳代の方も少なからず搬送されていることからも、年齢を問わず全ての人が注意をする必要があるといえます。

もしお餅を詰まらせてしまったら・・

背部叩打法(はいぶこうだほう)を覚えておきましょう。
意識の有無・年齢・性別に関係なく実施可能な方法です。

1. 手前に引き起こして横向きにし、自分の足で詰まらせた方の胸を 支えます。
2. 片手で詰まらせた方の顔を支えます。
3. もう片方の手の付け根で、詰まらせた方の肩甲骨と肩甲骨の間を強く4〜5回、叩きます。
4. 口の中を見て餅などが出てきたら取り除きます。
イラスト

東京消防庁ホームページより

   
   1月7日   冬の満月
   昨日から今日に掛けて夜の空に満月の寒そうな月が浮かんでいます。どうして冬の月、特に満月はこうも寒さを増幅させるのでしょう。冬の空は澄んでいるから、しんしんと身に応えるのか、心がその様に感じるのか、いまだ分かりませんが、やはり冬の満月は寒い。
 昨日、「小寒」。俗に寒の入りと言います。これから、20日大寒に向けて、益々寒くなる事でしょう。各地で冬の風物詩がテレビで流されますが、これからはもっと寒くなる事でしょう。ワカサギの氷上釣り、滝が凍り始めたり、スキーは当然の事ながら、札幌の雪祭りは間もなくですよね。・・・・その様に眺めてくると寒いお月さまは当然なのかも。
   
   1月6日   舐めてごらん
 

 お酒好きの私(決して呑ん兵衛ではありません?)、最上の吟醸酒を呑んでいました。当時まだ息子は飲める年齢ではありませんでしたが、味を知ってほしかったので、「チョット舐めてごらん」と杯を差し出しました。なんとこやつ、杯にベロを突っ込んで舐めたではありませんか。「こら!ちがうだろ〜。味を見る時は、そんな汚い事しないだろ」。困惑した息子が「だって、お父さんが『なめろ』と言ったじゃないか」。

   
   1月5日   江戸手ぬぐい
 

 

 まずはご覧下さい、江戸手ぬぐい。「くけんちょう」と読みます。東京神田須田町2丁目東側にあった町名です。ここの鳶の頭”市川氏”に年始の挨拶に頂いたものです。江戸手ぬぐいのなんて粋なことか。

   
   1月4日   初詣
 

  鹿島神宮(茨城県鹿嶋)に、初詣に行って来ました。2日の日中ですが大変な人出です。武勇の神で、旅行安全の神様でもあります。あのJALやANAの飛行機にもここのお札が張ってあると聞いています。

  

 左、鹿島神宮の山門です。この人出は流石です。ご来館皆様のご多幸を祈願してきました。代表して引いたおみくじは、「大吉」を引き当てて意気揚々のご帰還です。
 右、 帰り道、丁度地平線に落ちかかる夕陽に、ここでも感動しています。クリックすると大きな写真が見られます。

   
   1月3日   ミレナリオ
   
東京駅前の導入部。12/18に書いた昼間の写真が、本番ではこの様になりました。   最初の入り口正面です。
 
アーケードを抜けて最後のところで、振り向いた所です。   最後のところ、T字形に曲がった所。

 東京ミレナリオに行って来ました。初詣も終わり、深夜1時半頃ですが、最終日とあってかかなりの人がアーケードの下を歩いています。写真をクリックすると大きな写真になります。

   
   1月2日   一富士、二鷹、三茄子

今晩初夢で見ると縁起がいいものとされている、「一富士、二鷹、三茄子」の由来を、

1.富士は一番高い霊山、鷹は一番強い鳥、そして茄子は「成す(成就する)」に繋がると言う意味。

2.徳川家康にからんだ説もあります。
 その一 家康が駿府にいた頃、三保に遊びに行ったとき4月だというのに茄子がなっていたので、これは珍しいと思い買おうとした所、ものすごい値段を言われた。
その時「駿府で高い物といったら、富士山と愛鷹山(鷹)だけだと思っていたが、茄子も高い物の一つだ」と言ったと言う言葉がことわざになった。
 その二 家康の好んだもの三品。
当然富士山、鷹狩りは一番の趣味であった。それと、好物の茄子。
めでたい初夢といわれる「一富士・二鷹・三なすび」。実はこれには続きがあり、「四扇・五煙草・六座頭」となっています。 私はこれの意味は分かりません

3.こじつけ臭い説では日本の三大仇討ちをあらわした物だと言うものもあります。
富士;曾我兄弟が富士山の裾野で、工藤祐経を撃った。
鷹;赤穂浪士事件の元になった浅野長矩の紋所が鷹の羽を意味する。
茄子;荒木又右衛門、渡辺数馬の仇討ちの場所が茄子の産地だった。または「鍵屋の辻」の荒木又衛門の紋所が茄子。

4.実は、「一富士、二鷹、三茄子」の元の言葉はこうです。

「駒込は 一富士、二鷹、三茄子」 古川柳

 一富士は、町名にも”上富士前町”、”駒込富士前町”などがありました。小高い丘陵地でどこからでも綺麗な富士山が望まれました。富士神社の富士塚が有ります。
富士神社はもと、本郷3丁目近くの現東京大学構内にありましたが、1629年加賀藩前田候が引っ越してくるに当たり本駒込5-7-20の現在地に移設されたものです。富士神社があった地ですから東大構内は昭和44年まで本富士町と呼ばれていました。
 二鷹、駒込病院は鷹匠屋敷跡で、鷹匠が住んでいた。鷹狩りは徳川家康の唯一の趣味で将軍保護の元発展しました。駒込病院に隣接する天祖神社(文京区本駒込3-40-1)境内には、鷹匠組が奉納した石の柱も残されています。
 三茄子、”駒込茄子”で有名な地です。当時は”練馬大根”(練馬区)、”小松菜”(江戸川区小松川)、”亀戸大根”(江東区亀戸)等の農産物がありましたが、今では絶滅の危機に瀕しています。

千駄木に鷹駒込に富士と茄子  (古川柳)
富士山の出見世は鷹も茄子あり (古川柳)

でも、どうしてこの句が初夢に結び付いたのでしょうか?
またまた謎が増えてしまいました。今晩は眠れるかな〜ぁ

   
   1月1日   元旦
 
 明けましておめでとうございます
新年よりのご来館感謝します。
今年も「へぇ〜」と言われるような情報を発信できたらと、思っています。
これからもよろしくお付き合いお願いします。

 

   
門松の言われ
 門松が飾られるようになったのは、江戸時代の初期頃です。それも徳川家から始まっています。
徳川家は「松平」です。敵方の「武田」をねじ伏せてから徳川家が安定し江戸時代の太平を迎えます。
で、竹を縛って真ん中に置き周りから松で囲むのが正統派門松です。これは武田の”竹”を縛って、周りから松平の”松”で囲む事から来ています。”梅”をたして松竹梅に なったのは、それよりもず〜っと後の事です。
半分、眉に唾付けて読んでくださいね。

 

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