吟醸・最近思う事 2009年

 

 思う事が少なくなってきた年頃ですが、頭の運動にキョロキョロしながら身近な話題を伝えていきたいと思います。疑問・励まし・ご意見がありましたら  「掲示板」  に書き込んでください。そこから話題が広がれば”また楽しや”です。

                                                <9月下旬へ

  9月15日   東洋で最初の地下鉄

 左の注意書きは東京の上野−淺草2.2km間に初めて開通した地下鉄の車内にはられた「おことわり」です。

 さすがに今はたん・つばは吐きませんし、顔や手を窓から出す事もしません。タバコも吸う人も見掛けましたが、最近は駅構内も禁煙になっているので、車両に入ってから吸う無神経な人もいなくなりました。
 それも、全文ひらがなというのも時代ですかね。

下;昭和2年(1927)開通当時の1号車両です。

 
  9月14日   東京スカイツリー

 

 
東京スカイツリーが白い脚を見せ始めました。

基礎工事が終わって脚が建ち初めて、約9ヶ月で
150mの高さに達しました。

画かくが横位置から縦位置に変わってきました。
タワーの約1/3が立ち上がった事になります。逆に言えば、この3倍の高さのタワーになるのです。

9月13日撮影

 
  9月13日   マスコット

  

 駐車中のバイクにチョコンと止まって、一緒に走り出したいような目つきです。

 
  9月12日   猫の狩人

   

 空き地の一画でカラスが缶をくわえ、自分の世界で遊んでいます。それを鋭い視線で追う一匹の黒猫。じ〜っと辛抱強く待っていたのですが、カラスが歩き出すと猫の緊張が解けて、私の方に振り返り「ウルサいんだから」と言いたそうな顔をしました。商店街の一画だとは言っても、シャッター音はうるさく水を差す音であったのは確か。まだ、気配を消す事が出来ない私を反省。でも、カラスが飛び立つまで動こうとしない猫と私です。

 
  9月11日   落ち葉

 

 落ち葉の絨毯も間もなくですね。昼の蝉と夜の虫の鳴き声がいつの間にか交代しています。
そー、日陰にはいると涼しい風を感じます。秋が深まり始めたのでしょう。

 
  9月10日   銀南

 銀杏の実が色付き始めてきました。落ちた後の匂いとギンナンはお馴染みなのですが、木になっているところは果物らしい風格を持っています。さすがの食い意地の張った私もこれだけは口に入れません。

 
  9月9日   残暑

 確かに季節は秋になっていますが、まだ日傘が離せません。

 
  9月8日   モンシロチョウ

 まだまだ暑さ真っ盛りですから、蝶も元気に飛び回っています。

 
  9月7日   防災フェアー

 小学生も救急ブースで心肺蘇生の訓練に参加しています。大人への応急手当法だけではなく、我が弟を想定して取り組んでいます。

 
  9月日   Google ウエーブマップ

 

 Googleで公開されているウエーブマップの撮影車両を捕捉しました。車両天井に乗ったこのカメラで撮影していきます。貴方の家の前は撮影していったでしょうか。
江東区にて

 

 
  9月5日   風邪の予防

 

 東京もインフルエンザの嫌な情報が流れています。ここ税務署の入口カウンターに消毒用アルコールが置かれています。でも、まだマスク姿はあまり見受けません。言われてみると、私は無防備です。

 
  9月4日   小さな秋見つけた

 

 暑い寒いと言っても植物は正直。葉を落とし始めています。 

 
  9月3日   円生命日

 円生師が亡くなってもう、三十回忌になるようです。昭和54年(1979)9月3日没。享年79歳。もうそんなに昔のことなんですね。残された”音”を聞いていると、その事が嘘のように感じられます。
 当時の新聞によると、当日は上野のパンダが亡くなった日です。そこで「円生さんも亡くなる」という迷文が紙面を飾ったものです。

円生師の言葉を拾いますと、

 「ある水準まで、自分の芸が上がってきた時に、初めて芸は役に立ちます。」

 「芸というのは、教せえて教せえられるものじゃない。自分で悟るしかないですね。」
  
 「演題の豊富さは、落語界随一だが、『おクラになっている噺は数知れない』。芸とは、ムダが生きるものです。」

 「芸は自分がでるからこわい。」 

 
  9月2日   ケサランパサラン

 「ケサランパサラン」って何だ! 3〜40年前に結構話題になった生物?植物?鉱物?いったい何なのか分からないが、幸運を運ぶというものです。
 人によってはもっとああだとか、こうだとか言いますが、それが昨日仕事先で見つけたのです。床の上を転がるように?飛ぶように?滑るように?移動していたので、追いかけながら携帯でゲット。それがこの写真です。タンポポの綿毛のようでもあり、違うようでもあり。ま、あやふやな未知の生物としておきましょう。幸運の女神なのですから。

 
  9月1日   関東大震災・午前11時58分

 

 大正12年、関東大震災のあと、人々は東京本所被服廠(ひふくしょう)跡地の構内に避難してきた。この数分後に突風に乗った火炎に包まれ避難していた3万8千人が焼死した。未だその惨劇が起こる事すら知らない、安堵の表情で避難している人々の唯一残された写真。この写真から身元が分かった人もいたが・・・。

 下;その被災者の遺骨。手帳や定期券、名札などで身元が分かった遺体はわずかだった。現在同地に東京都慰霊堂が建設され、写真の遺骨が納められています。

 

写真;「東京消失・関東大震災の記録」広済堂出版 より


 大正12年の関東大震災では、東京市内で6万人(全域で14万2000人)の死者を出したが、そのうち3万8千人が隅田川畔の被服廠跡広場で一瞬に焼死した。まさにこの世の地獄であった。被服廠跡は10万平方メートルの敷地を持ち、絶対安全な避難場所に見え警察でも避難誘導した。本所の住民は、家財道具をかついだり満載の大八車を引いて続々と敷地内に避難し、その数は4万人に達した。
 午後3時すぎ、各所で合流した火流は三方から被服廠跡を包囲し、ついに大旋風が発生した。小泉登美さんは、そのとき奇跡的に生き残った一人です。少し長いのですが、その体験手記を載せます。
 
 「ちょうどその瞬間であった。何事とも知れず、ごお〜っといって地の底からくつがえるようなものすごい音響が、安田家の森と思う方向から湧き起こってきた。そして同時に私たちの頭の上には、瓦といわず、ござといわず、トタンといわず、つぶてのようにバラバラと降りそそいできた。悲鳴はそこにもここにもあげられ、見る見るうちに渾沌そのもののようになってしまった。するとどうであろう。五人も六人も一緒になって座っていた私どものむしろが、そのまますうっと、一、二間前にすベリ出したのであった。”おお、恐ろしい力”とおどろいて私は友の体につかまろうとしたが、もうその時は私の体が疾風のようにころげまわされていた。
 私の立っているところは、本当にこの世の内とは思えなかった・・・、どうしてこんな中に私は生きていられたのだろう。あちらにもこちらにも死人の山がいくかたまりとなくできて、それがうめいている、泣いている、おお、そして崩れてて行く本当に、無尽蔵に大地の中からわき上がるような火災の池にはどこにちょっとでも隙間があるのか。西か東かもわからない。
 私は、大きなかたまりとなって上を下へとひしめきあいながら、悲鳴をあげている人々からそっと離れて、死を覚悟して倒れた。けれど、けれど今が真盛りとでも言いたい火の勢いが、突然そのときどこかの家がくずれ落ちると共に津波のように大きな炎となって私どもの上に落ちかかってきたのであった。そして、はっと思った瞬間に、私は、もう倒れた人、死んだ人を幾人か飛び越えて大勢の中にもまれていた。しかも、もうそこはぎっしりと足の踏み場もないほど人が倒れていた。どうかしてもっともっと真中まで逃げこみたい・・・そう思う中にも二度三度と魔のような火が追いかけてくる。真中まではまだまだ遠い。私の心はあせりにあせった・・・。
 さすがの猛火もようやく下り坂に向かったらしく、吹きこむ炎の度数がよほど少なくなっていた。熱い空気の中にも時折は涼しい風が含まれてくるようになった。今まで張りつめていた全身の力が急に抜け、一分も立っていることができなくなった。みんなも倒れた。
 ”あっ”、”ふまないでください”、”痛い!”そうしたきれぎれなうめき声があちらでもこちらでも起こった。私たちは何よりも何よりも恐ろしい事実を見なければならなかった。しっかりと抱き合っていたはずの親が子が、固く手を取っていたはずの友と友とが、主人と下僕とが、夫婦が、いつの間にか片羽鳥となっていた。今さらのように火と戦い、死と戦って前後を忘れてしまった数分前の自分をあさましく眺めた。ひしひしと身に迫る孤独感はいやが上にも良心をさいなんできた。いても立ってもいられなくなった人の子は、親を呼び子を呼び死人の上をかけ回った。
 やがて、私たちの上にはこらえ切れない空腹が襲ってきた。しかし一粒の米もひとかけらのパンくずもあろうはずがない。私は目をつぶり、恥を忘れて、水を、水を求める為に通る人を呼びとめた。しかし十人に一人、五人に一人から、わずかにきたないバケツの底をさらって、あるいは焼け跡に落ちていたゴム靴の穴から泥臭い水を口にそそがれるのであった。中には高いところから、私の顔の上に水をふりかけたままさっさと行ってしまう人がある。もう私には泣く事さえ出来ないのであった。」
 文;「東京消失・関東大震災の記録」広済堂出版 より 

 

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