<9月下旬へ> |
9月15日 国体東京・水泳高飛び込み競技 |
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江東区・東京辰巳国際水泳場で開かれている高飛び込み競技。女子は3mの高さから板の反動を利用して飛んでいます。男子は10mの高さから、ひねりを入れて飛び込んでいます。スキーのジャンプのように勇気が無いと飛べませんね。 |
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9月14日 国体東京・レガッタ競技 |
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江戸川区の荒川で行われているレガッタ競技。15日が決勝で最終日になります。写真は一人用のレガッタですが、どう見ても水上のF1です。空力(水力?)的に優れ、軽量ボディーにエンジンのドライバーが一人。写真手前が船首で、これにやじろ兵衛のオールが付きます。そのオールが下の写真。
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9月13日 キュービックルなビル |
影が出来て、どこまでが本当の外壁で、影なのか区別が出来ません。マジックなビルの切り込み。
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9月12日
朝顔 |
9月に入って、まだまだ新鮮な咲き方をしている朝顔です。昼過ぎなのに周りの花は萎んでいますが、この花は元気いっぱい。あやかりたい、あやかりやい。
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9月11日
和楽器演奏集団「独楽」 |
プロ集団の独楽(こま)です。前日には大ホールにお客さんを集めての演奏でしたが、本日は近所の小学校で、課外授業としての披露です。小学生向きに手を抜いて軽く流すのかと思ったら、全力投球です。子供達の心を完全に掴んで、盛んな拍手が飛び、最後の方でメンバー紹介に入ったら「もう、終わっちゃうの」との声が飛んだほどです。良いものはイイと、子供達には身体で判るのです。
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9月10日
新宿末廣亭 |
夕闇せまる新宿末廣亭に灯が入りました。夜のトリは春風亭昇太です。
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9月9日
目黒のさんま祭り |
落語「目黒のさんま」を題材に、目黒駅前の道路を半分占拠して、宮古から運ばれた6000匹のさんまを焼いて振る舞われました。すさまじい煙で焼くスタッフはゴーグルを付けて革手袋をして用意万端。私ですらカメラがさんまの匂いで、猫がいたら飛びかかられるところです。行列は長く2時間待ちで、やっとありつける状態です。ま、大成功のさんま祭りでしたが、来週15日は目黒駅南側の目黒区・田道公園で同じように無料のさんまが振る舞われます。さんまが不漁で、中止もささやかれ、数を集める苦労が主催者側には有るようです。
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9月8日号外
2020年東京オリンピック開催決定 |
読売新聞の号外が出ました。東京五輪決定、2020年開催。TVでは、この話で持ちきりです。ただ、7年後、私が元気であれば、見に行けるのですが・・・。まずはおめでとう。 |
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9月8日
都内で唯一の地下鉄踏切 |
上野、渋谷間を走る銀座線の地下鉄検車場。そこに出入りするために、地下から上がってきてこの構内に入っていきます。踏切を渡るのは、ほんの一瞬の出来事。台東区東上野四丁目。
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9月7日
ラーメン屋 |
夜のお勤めに出る前の、まだ眠たげなラーメン屋の屋台。こんな所で出番前の、素顔をさらしている屋台は浮き上がっています。あれれ、水商売の女の子と同じじゃないか。
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9月6日
オリンピック2020 |
東京都知事から首相まで先頭に立って、ブラジルで次々回オリンピック開催国を巡っての招致運動を繰り広げています。私の手元にも誘致運動の、胸に付けるバッジとメモ用紙が配られています。さて、どこに決まるのでしょうか。まもなくですね。
3候補地では、治安問題、財政問題、交通渋滞問題、原発事故問題とそれぞれが弱点を抱えています。どこが招待カードを引くかは僅差です。 |
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9月5日
シャボン玉 |
お父さんの作ってくれるシャボン玉を一生懸命追いかける子供。夢の中の出来事みたい。
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9月4日
洗濯日和 |
9/2昼過ぎ、関東北東部では竜巻が発生し、多大な被害を出しています。何度もTVではその様子が映し出されていますし、被害地の惨状が映し出されています。竜巻なんて外国のことだと思っていましたら、身近でも起こる怖さがあります。ひるがえって、我が東京では朝から晴れ上がり、強い陽が差し始めました。
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9月3日
歩行者専用橋 |
夕闇がせまる中、照明が入って素敵なアーチが出現。旧中川にて |
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9月2日
レガッタ |
平井大橋付近での国体レガッタの練習風景。東京・荒川を会場として、国体が始まります。それに合わせて10日から15日まで予選・本選・決勝戦が行われます。もうその前哨戦が繰り広げられています。
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9月1日
関東大震災
大正12年9月1日午前11時58分に起きた関東大震災は空前の大災害をもたらしました。とくに東京の中心部では9月1日午後から2日を越えて3日の朝まで42時間燃え続け、当時のもっとも繁華な銀座や日本橋と共に浅草、本所、深川などほとんど全域が焦土と化し、約38万もの家屋が焼失し、5万8千人の生命が犠牲となりました。
震源地に近い相模湾に面した地域では、家屋倒壊など壊滅的な被害を被りましたが、揺れの被害が比較的少なかった東京では大半が大火災による被害でした。そして火災旋風に遭い3万8千人の人々が犠牲となった「本所被服廠跡」の災害発生は、地震が起きてから4時間後でした。
【本所被服廠跡、震災記念堂にて】
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