2010年2月11日午前10時33分、脳幹出血のため神奈川県内の病院で没。享年77(満76歳没)。
幼い頃より家族や家業の使用人等と寄席に通ったり放送での寄席番組に親しみ、一時は噺家を志したほどの落語好きで演芸評論家。 演芸関連のレコードやテープ、CD等や個人的に演芸番組の放送をエアチェックしたり各方面から入手した落語や演芸の録音(録画)音源を数多くコレクションしており演芸関連の資料も数多く所有。
NHKラジオ第1で長年放送し番組席亭を務めていた『ラジオ名人寄席』では自身の録音(録画)からの音源も提供して放送を行っていた。さらに2003年からは横浜にぎわい座の館長に就任する。2007年5月12日の「第12回林家彦六賞」に於いて、「寄席関係に貢献、話芸の発展に尽力した」との事で「彦六特別賞」が贈られた。
しかし2008年3月、玉置が持ち込み『ラジオ名人寄席』内で使用した落語の音源のうち一部がTBSが収録したものでありその使用についてTBSから許諾を得ていなかったことが川戸貞吉・草柳俊一からの申し入れで明らかになり、玉置は同番組を降板し同番組は打ち切られる。
この『ラジオ名人寄席』での音源不正使用事件の個人的責任を取り、日本芸能実演家団体協議会理事の辞任と自身の司会番組『昭和歌謡大全集』を降板。また横浜にぎわい座館長も辞任の意を表したが、慰留され留まる。以後、舞台のほかはスカパーの時代劇専門チャンネルで放送の『中継・横浜にぎわい座 名作傑作落語選』に出演する程度で事実上第一線からは退いた。事件の責任を取っての行動である。
2010年2月11日午前10時33分、脳幹出血のため神奈川県内の病院で没。享年77(満76歳没)。2月4日に倒れ入院加療中だった。不正使用事件以後、急激にやつれ、倒れる直前にはろれつが回らぬなど、関係者等からその体調を案ぜられていた最中であった。
玉置宏の死去の報に、元祖御三家の橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦を始め、縁のあった歌手などが相次いで追悼コメントを出し、改めて玉置の歌謡界への貢献ぶりと存在感がクローズアップされている。
ウィキペディア(Wikipedia)より、写真;日刊スポーツより
落語に対する深い愛と洞察力と眼力に敬服していたが、亡くなっていた事が今解り驚いています。合掌。
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