<10月上旬へ> |
9月30日 相馬野馬追そのT |
東京・大井競馬場で開かれた相馬野馬追、宵乗り(甲冑)競馬。東北復興支援のイベントで、4コーナーを曲がって2番手を走る黒地に白鶴の旗を立てた馬が堂々1着になりました。
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9月29日
チューリップ |
公園の蓮池で、「お父さん、チューリップが咲いているよ」、学齢期前の女の子が叫んでいます。恥ずかしくて顔を赤らめるのはお父さんではなく、この蓮の花でしょう。
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9月28日
蓮のウテナで蛙が |
志ん生が噺の中で、「この世で添い遂げられなければあの世で一緒になろう」と言うのを茶化して、蓮のウテナで遊ぶ蛙のようだ、と。ウテナならぬ葉の上の蛙くん。
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9月27日
ヘリコプター |
新宿・四谷にある、消防博物館の屋上に展示されているヘリコプター。昭和47年(1972)フランスから輸入された「アエロスパシャル・アルウェットV型機」で、時速210km、7人乗りで、16年間に4957時間飛んで引退し、愛称「かもめ」と言った。屋上に展示されていますが、飛んできてここで固定されたのか、運ばれてきてクレーンでここに引き上げられたのか、聞き漏らしましたが、どちらなのでしょうか。屋上手摺り際に有るので、高所恐怖症には乗っているような体感があります。 |
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9月26日
マンサクの花 |
名前に似ず、素敵な色と形の花です。公園の樹木で、首にはトキワマンサクと迷子札、いえ、名札が掛かっていたのですが、秋に咲くなんて狂い咲きでしょうか。え?別の花かも・・・。
相変わらず、とこさんにご足労願いました。正式名称「紅花常磐満作」(ベニバナトキワマンサク)です。春と秋に咲き、秋の花の量は春より少なめです。咲かない木もあります。ご教授有り難うございました。
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9月25日
ツタ |
銀杏の木に一本のツタが絡みついています。 葉を色づけた方が良いのか、まだ早いのかまごついているようです。モタモタしていると枝ごと剥ぎ取られてしまいますよ。
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9月24日
ポスターから抜け出る |
ポスターから抜け出たような女性が歩いて行きます。一瞬目を見張って、いえ、目をこすって見直しました。
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9月23日
ギンナン |
気の早い実は落ち始めて、独特の匂いを発しています。鈴なりとはこの事を言うのでしょう。匂いは別にして、種の中の実はエメラルドグリーンで、酒の肴には最高。
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9月22日
キキョウ |
秋の七草の一つ。清楚で秋を彩るには最適な花です。
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9月21日 十六夜 |
十六夜(いざよい)の月。向島より望む、スカイツリーに近づく煌々と輝く月。 |
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9月20日 十五夜 |
都会の中の中秋の名月。はい、無精して我が家からお月見。 |
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9月19日
お岩稲荷 |
幽霊のお岩さんと、実在のお岩さんとでは大違い。
田宮稲荷神社は、於岩稲荷と呼ばれ四谷左門町の御先手組同心田宮家の邸内にあった社です。初代田宮又左衛門の娘お岩が信仰し、養子伊左衛門とともに家勢を再興したところから「お岩さんの稲荷」として次第に人々の信仰を集めたようです。
鶴屋南北の戯曲「東海道四谷怪談」が文政8年(1825)に初演されるとさらに多くの信仰を集めるようになります。戯曲は実在の人物からは200年後の作品で、お岩夫婦も怪談話から大きく事なり、円満でした。稲荷社は明治12年(1879)に火事で焼失し、その際、初代市川左団次の勧めで中央区新川に移転しました。しかし、その後も田宮家の住居として管理されており、昭和6年(1931)に東京都指定旧跡に指定されました。戦後、昭和27年(1952)に四谷の旧地にも神社を再建し現在に至っています。(東京都教育委員会)
現在地、新宿区左門町17
。
寛永13年(1636)にお岩さんは亡くなるが、お岩さんの墓所は豊島区西巣鴨四丁目8の妙行寺にあります。
『東海道四谷怪談』に出演する役者は於岩稲荷に参拝していたのだが、そのうちに上演前に参拝しなければ、病気になったり事故に遭ったりするという話になり、祟りだという話にまでなった。しかし、これは『東海道四谷怪談』は暗い場所で演じる上に、大がかりなからくりなどが用いられるので、怪我が多く、それが祟りと結びつけられたのだろうという。
落語「ぞろぞろ」の舞台。 |
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9月18日
台風一過 |
台風が過ぎ去った夕方、東の空まで紅に染まり青空まで覗かせています。おぼろな十三夜が美しい。 |
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9月17日
台風18号 |
9/16未明から台風18号は、東京地方に被害を最小限に留めて北に抜けていきました。近隣では庭木が飛んできて、道をふさぎ、屋上のプレハブが飛んで地面に落下しました。ま、人的被害がなくて良かった。 |
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9月16日
国体・飛び込み練習風景
こんな高いところから、よくもまあ〜。
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